2014年3月30日

桜人(さくらびと)

事務所のある明治通り「恵比寿橋入口」交差点付近。沿道のソメイヨシノがすでに満開を迎えている。ここの桜は道路の左右で花の咲き具合がずれているのが面白い。左側(北側)に並ぶ桜は日が良く当たるため、ほとんど日の当たらない右側(南側)に比べて1週間ほど開花が早いのだ。




桜の花は数あれど、ソメイヨシノの淡く上品なピンク色には、綿のようなふっくらとした温かさが感じられる。軒並み20度を超えた土曜日。各地の開花スポットには沢山の花見客が押し寄せたようだが、ここ恵比寿にも多くの「桜人」が訪れ、思い思いに散策を楽しんでいた。春本番である。

※桜人(さくらびと)…桜を愛でている人のこと。花見客。

2014年3月28日

渋谷最古の神社

私は個人事務所を恵比寿(渋谷区広尾1丁目)に構えているが、新しい年度を前に「渋谷氷川神社」へお参りに伺った。渋谷氷川神社は昔からこの地域の総鎮守で、渋谷最古の神社と言われている。新しい仕事が始まることもあり、区切りのいいところでしっかりご挨拶をしなければと思っていたところだ。


日本神話でも有名な素盞鳴尊(すさのおのみこと)をはじめ多くの御祭神が祀られており、恋愛成就、縁結びなど多彩なご利益が受けられるという。敷地面積は約4000坪。都心とは思えないほど豊かな緑に包まれた神社だ。



氷川神社には相撲場がある。江戸時代には江戸郊外三大相撲の一つ「金王相撲(こんのうずもう)」で賑わった。本職の江戸の力士ばかりではなく、近郷の若者も大勢参加し、江戸時代の村の社交場ともなっていたのだ。この相撲場では今も「わんぱく相撲全国大会」の渋谷区大会が催されている。渋谷駅からも恵比寿駅からも15分はかかる少々不便な場所であるが、都会の喧騒を一瞬忘れられる素敵な空間だ。

2014年3月26日

天空でのトレーニング


4月から新しい仕事をさせて頂くことになり、六本木にそびえるあの巨大要塞へ伺った。数回の研修が必要とのことで、今日は実際の担当者に付く形でのトレーニングだ。こんな景色を見ながら働けるのは嬉しいことだが、高層ビルで仕事をしたことがないので、地震が発生した時のことは少し気になる。本格的な稼働は4月5日からだ。

2014年3月24日

梅と桜と雪うさぎ

4月からの消費税アップに伴って郵便料金も改定され、切手やハガキも全て新しいデザインに切り替わる。82円切手は「梅」、52円切手は「ソメイヨシノ」、50円と80円の切手に合わせて使う2円切手には「エゾ雪うさぎ」が描かれた。


交通運賃の値上げや様々な料金変更がしきりに報じられているが、来年の秋に税率が10%に上がることを考えれば、ここでじたばたしても仕方の無いこと。「今が買い時!」などと踊らされ、焦って無駄な買い物をせぬよう、冷静な判断を心がけようではないか。それにしても、様々な影響を見るにつけ、2段階アップは非効率極まりない。

2014年3月22日

富士山のフトコロ

「春分の日」の山梨は朝から快晴。事務所の研修センターから臨む富士山もくっきりと鮮やかだ。今日は諸々の買出しをして、センター内の最終的な模様替えを敢行。研修センターを構えて2年以上経つのだが、訪問するのは月1~2回、特に冬の間は雪のため3ヶ月間ほとんど使わないこともあり、全てが整うのに時間を要してしまった。


作業も一段落し、今回の一番の目的である「河口浅間(あさま)神社」の参詣へ。「河口浅間神社」は864年(貞観6年)の富士山大噴火を鎮める為に、その翌年、富士山と対峙する河口湖のほとりに富士山の神を祀ったのが始まり。大きな赤い鳥居の先には樹齢800年を誇る杉並木が出迎えてくれる。



本殿は横に広い「一間社造り」と呼ばれる造りで、社殿の中はかなり広々としている。境内には「七本杉」と呼ばれる7本のスギの神木が立つ。これらはいずれも樹齢1200年を数え、山梨県指定天然記念物に指定されている。私がお参りを終えた頃、ちょうど観光バスが2台到着。観光スポットとしても定着しているようだ。

ちなみに、浅間(せんげん、あさま)神社のほとんどは富士山に対する信仰(富士信仰、特に浅間信仰)の神社をさす。山梨や静岡にはこの「浅間」を冠した神社が数多く存在する。研修センターをこの地に置かせて頂いたのも何かの縁。お参りを欠かさないようにしたい。

2014年3月20日

「143cm」のその後

仕事で山梨県の河口湖へ。2月に見舞われた大雪から1ヶ月も経つというのに、まだ溶けずに残された雪が街のあちこちで山のように積まれている。もちろん道路上には全く残っていないので、車の運転に支障はない。


あの大雪で、富士河口湖町では143cmの積雪を記録。一時は鉄路も道路も断たれ、まさに陸の孤島と化した。春めいてきたとは言え、夜は氷点下近くまで下がる富士五湖地方。冬の置土産はまだしばらく消えてくれそうにない。

2014年3月18日

地価が上がると…

都市部を中心に土地の値段が上がっている。国土交通省が今日発表した今年1月1日時点の公示地価は三大都市圏(東京、大阪、名古屋)で去年より0.7%上昇し、6年ぶりにプラスとなった。地価が上がったポイントは三大都市圏では去年の「1349」から「5310」に。およそ4倍に増えたという。


特に東京圏では、オリンピック開催を6年後に控え、中央区などの湾岸部を中心に交通網の整備が進むとの期待感からマンション市場の勢いがよく、地価も軒並み上昇しているのだとか。

久々の地価上昇に、マスコミは景気回復の表れと一斉に報じているが、考えてみれば、地価上昇に伴って不動産物件の価格も家賃相場も高騰し、地価を基準に算定される「固定資産税」も上がっていく。物件を売りたい人や不動産投資を考えている人達にとっては心躍るニュースだが、普通に暮らしている大多数の人達にとっては負担が増えるだけで何のメリットもない。消費税アップを前に、実はとても困ったニュースでもあるのだ。

2014年3月16日

"菜の花"が持つ力

春本番、三浦半島でも菜の花があちこちで鮮やかな黄色い花を咲かせてくれている。菜の花は菜種油をとる「アブラナ」や「小松菜」「白菜」などの冬野菜が咲かせる花を総称した名称で、実は「ナノハナ」 という品種の植物は存在しない。


花言葉は「快活な愛」「元気いっぱい」「小さな幸せ」など。調べてみて分かったのだが、菜の花は塩の土壌に強いとのことで、東日本大震災の被災地では津波によって塩をかぶってしまった塩害土壌に菜の花を植えるプロジェクトが進行している。確かに、「菜の花」は見ている者を前向きな気持ちにさせてくれる花だ。

◆農地再生「菜の花プロジェクト」
http://www.egaonippon.com/miyagi/

◆菜の花大地復興プロジェクト
http://greenearthcaravan.com/nanohana.html

2014年3月14日

『春一番』の悲劇

キャンディーズの「春一番」が2年前からラジオでかからなくなり、カラオケのリストからも外されているをご存知だろうか。これは、作曲した穂口雄右(ほぐちゆうすけ)さんがJASRAC(日本音楽著作権協会)を退会したことで、穂口さんが作詞と作曲の両方を手がけた「春一番」「夏が来た!」の著作権を穂口さん本人が管理することになったからだ。

穂口さんはJASRACによる著作権管理やその手続きが音楽の自由を阻害していると考え、もっと手軽に楽曲を楽しんでもらおうと著作権の自主管理を始めたとも言われている。


だが、既成のルールを崩そうとする穂口さんには反感も強く、「彼を利するようなことはしない」という暗黙の了解のもと、結果的に穂口さんに不利な形で業界が動いた。「春一番」「夏が来た!」はカラオケのリストから消え、ラジオでこれらの楽曲が流れることはほぼなくなってしまったのである。名曲がこんな形で聞けなくなるのは実に寂しい。

現在、この2曲に関しては穂口さんが代表を勤める「amvox(アムバックス)」という会社が著作権管理を担当。格安に設定された著作権料を支払えば、個人でも商業目的で自由に使用できる。一連の出来事は穂口さんにとって決してプラスなことばかりではなかったかもしれないが、彼の反乱は著作権問題を世に問ういい機会となったことは事実だ。

2014年3月12日

震災から3年を経て

東日本大震災が起きた日、あなたはどこで何をしていらっしゃっただろうか。あの日とった行動、あの時ご自分で考えていたことをしっかり覚えていらっしゃるだろうか。震災発生から早3年、今一度記憶をたどって頂きたい。


犠牲者への哀悼の意を表すること、被災者のご苦労に心を寄せることは大切だが、自分と自分の回りの人達が存することに改めて感謝をし、一人一人があの震災で思慮した覚悟や決意をここで再確認しておきたいものだ。そうした態度こそが我々生きている者に課せられた使命なのである。忘れることなど決してあってはならない。

2014年3月10日

1945年3月10日

東京大空襲。1945年(昭和20年)3月10日、東京市街はアメリカ軍の焼夷弾(しょういだん)による大規模空襲を受け、人類史上最悪の10万人を超える民間人が犠牲となった。東京は1944年11月から翌年5月までの間にのべ106回の空襲を受けているのだが、「東京大空襲」とは最も犠牲者の多かったこの3月10日の空襲を指している。

焦土と化した東京市本所区(現在の墨田区両国付近)
戦時下とは言え、これだけ非人道的な殺りくを繰り返した敵方には計り知れないほどの憎悪を禁じ得ないが、1951年、日本政府は「サンフランシスコ平和条約」により賠償請求権を全て放棄することとなった。

こうした数々の空襲は軍事施設のみならず、市街地も標的とされていることから、無差別爆撃と言わざるを得ず、戦争犯罪ではないのかとの声は今も根強い。しかし、むやみに過去を糾弾することなく、過去の事実をしっかりと受け止め、多くの犠牲を無駄にしてはならない…という強い信念を持って行動したからこそ、日本の繁栄がもたらされたことも事実。我々はその道程をしっかりと心に刻み、次の世代へと伝えていかなくてはならない。


※使用している画像について
画像はフリー百科事典「ウィキペディア」に掲載されている『東京大空襲』のページより引用致しました。すでに著作権の保護期間が終了しており、出典を明示した上での使用は差し支えないとのことです。

2014年3月8日

ご卒業おめでとう!


講師をさせて頂いている専門校の卒業式が明治記念館で行われた。今年は仕事の都合で式典には参加できず、夜の謝恩パーティーのみの出席。いずれにせよ、巣立っていく学生たちの晴れ舞台に招待して頂けるというのは光栄なことである。これからは同じ社会人。お互いしっかり自分磨きをしていこうではないか。19期生諸君、ご卒業おめでとう!

2014年3月6日

無宗教、無宗派?

三浦半島に自宅マンションを購入してから約1年半。先日、リビングの壁に手作りの「神棚」を設けた。洋風の部屋には合わない気もしたのだが、方角などを考慮しこの場所に決めた。ちなみに、棚板は「無印良品」で手に入る壁掛け棚で、その他の神具もホームセンターで売られているもの。

両親が共に田舎と決別して東京へ出たこともあり、すでに菩提寺(檀家としてお世話になる寺院)との付き合いはない。家に仏壇はなく、父は宗教不問の公園墓地に新しく墓を建立した。服部家はそんな無宗教のような形で現在に至るが、良く考えてみると、単に特定の宗教や宗派を信仰していないだけで、基本的には日本人古来の生活に根付いた「神道」を礎にしてきたのは事実。初宮参り、七五三、初詣、お祭り、神前結婚式、地鎮祭などは全て神道の風習である。


本来の神道は多神教で、決まった教祖・本尊がおらず、経典や教義もない。洗礼を受けて信者になったり、檀家・信徒に加わるという制度もない。そんな煩わしさがないことも手伝って、日本人は古くから様々な神を各々の気持ちで敬ってきた。最近はお札やお守りをインテリアとして飾る人が多くなっているのだとか。日本人の多くは「宗教」という枠に囚われることなく、「文化」「風習」の一部として、込み上げた崇高な気持ちを神に向けてきたのだろう。

明治から終戦までの間は天皇を中心に据えた「国家神道」として扱われた時期もあるが、本来はもっと大らかな信仰が基本で、山や川などの自然や自然現象を敬い、それらに八百万(やおよろず)の神を見いだすという考え方なのだ。


全国の神社を統括する神社本庁によると、神棚はお札を3枚並べてお祀りする「三社造り」と、3枚を重ねてお納めする「一社造り」という形式があるのだとか。私の神棚は一社造りではあるが、お札を納めるだけの簡易神棚となる。

一般的には手前に「天照大神(あまてらすおおみかみ)」を祀った伊勢神宮のお札を納め、その後ろに居住地を管轄している氏神神社(鎮守神社)のお札を納める。もし、それ以外に良く参拝する神社があれば、その神社のお札を一番奥にお祀りするのだという。ちなみに、伊勢神宮のお札(神宮大麻)は全国どこの神社でもお授け頂ける。祀り方にルールはあれど、まずは先人に心を寄せることが大事なこと。感謝の気持ちを忘れてはならない。

2014年3月4日

『さくらさくら』の歌詞

先日ご紹介した三浦海岸のカワヅザクラ(河津桜)がほぼ満開を迎えている。空の青さに濃い目の桃色が際立って本当に美しい。ソメイヨシノの花は3月下旬~4月上旬にかけてなので、2月上旬に開花する河津桜から数えると、リレーする形で実質2ヶ月もの間桜を楽しめることになるのだ。


さくらさくら

さくらさくら 野山も里も
見渡すかぎり
かすみか雲か 朝日に匂う
さくらさくら 花盛り

さくらさくら 弥生の空は
見渡すかぎり
かすみか雲か 匂いぞいずる
いざやいざや 見にゆかん


皆さんはどちらの歌詞を教わっただろうか。私は下の詞で歌った記憶があるのだが、現在は上の方の歌詞が一般的とのこと。教科書によっては、1番・2番の歌詞としてこの順番で載せているものもあるのだとか。



ここ数年で定着してきた「三浦海岸桜祭り」は、平日にもかかわらずかなりの賑わいを見せている。今まで全く気付かなかったのだが、普段は青色の駅名看板もご覧のように桜仕様にお色直しされていた。季節は本格的な春を迎える。

2014年3月2日

ゴジラが上陸した浜

横須賀市の観音崎にある小さな浜「たたら浜」。砂が白いこともあって、この海岸は三浦半島の中で最も透明度が高いとされている。こうして少し遠くから眺めても、水底までしっかりと見通すことが出来るほどだ。


この「たたら浜」が有名になったのにはもう一つ理由がある。日本が誇る怪獣映画「ゴジラ」が劇中で初めて日本に上陸したのがこの浜であるとされたこと。ゴジラが公開された4年後の1958年(昭和33年)にはこの場所にゴジラの滑り台が設置された。滑り台は子供たちに愛され続けていたのだが、老朽化のため1973年に取り壊され、その後はご覧のように「足跡」だけが残されている。


ちなみに、映画が初めて公開されてから60年目に当たる今年、「ゴジラ」のアメリカ版が新作映画としてお目見えする。東宝は2004年の「ゴジラFINAL WARS」を最後にしばらく製作を行わない方針を打ち出していたので、今回は10年の沈黙を破る形での復活となる。アメリカで「ゴジラ」が製作されるのは98年に続き2度目。公開は5月16日、日本での公開は7月25日の予定だ。