2020年3月27日

竜宮城が完成!



江ノ島にある実家へ。新装なった小田急片瀬江ノ島駅。以前の竜宮城より明らかに大きくなった印象だ。装飾も実に絢爛豪華。夜に改めて見ると、しっかり織姫様がおいでになった。いい夢が見られそう…。

2020年3月19日

「笠雲」は雨の合図


久々に河口湖の部屋へやって来た。富士山に笠がかかっている。笠雲が出ると、 7~8割の確率で雨が降ると言われている。今は晴れているが、確かに今夜の予報は雨だ。

2020年3月11日

忘れられぬ答辞



震災直後に行われた宮城県気仙沼市の階上(はしかみ)中学で行われた卒業式。彼の答辞は今も忘れない。あれから9年。災害時の避難計画を綿密に立て、最低3日間耐え得る備えをしておくこと。助け合いは必要だが、まずは自分達を守るべし!

2020年3月10日

「東京大空襲」から75年

昭和20年(1945年)3月10日は東京大空襲のあった日。東京の下町はアメリカ軍の焼夷弾(しょういだん)による大規模空爆を受け、人類史上最悪の10万を超える人々が犠牲となった。東京は1944年11月から翌年5月までの間にのべ106回の空襲を受けたが、「東京大空襲」とは最も犠牲者の多かった3月10日の空襲を指す。

焦土と化した東京市本所区(現在の墨田区両国付近)

戦時下とは言え、これだけ非人道的な殺りくを繰り返した敵方には計り知れないほどの憎悪を禁じ得ないが、1951年、日本政府は「サンフランシスコ平和条約」により賠償請求権を全て放棄することとなった。

こうした数々の空襲は軍事施設のみならず、市街地も標的とされていることから、無差別爆撃と言わざるを得ず、戦争犯罪ではないのかとの声は根強い。しかし、むやみに過去を糾弾することなく、過去の事実をしっかりと受け止め、多くの犠牲を無駄にしてはならないという強い信念を持って行動したからこそ、日本の繁栄がもたらされたことも事実。我々はその道程を心に刻み、次の世代へと伝えていかなくてはならない。


※使用している画像について
画像はフリー百科事典「ウィキペディア」に掲載されている東京大空襲のページより引用致しました。すでに著作権の保護期間が終了しており、出典を明示した上での使用は差し支えないとのことです。

2020年3月6日

Happy Birthday!


私、弟、母の誕生日が2月から3月に集中しているので、先日の家族会で誕生日を祝う。母は81才。タバコを吸うわ、車を運転するわの元気な婆さんだ。ちなみに、父は足の骨折で再入院中のため、今回は欠席。