フリーアナウンサー服部 陽介のブログへようこそ!服部 陽介はレポーター、キャスター、ニュースデスク、司会者、俳優、声優、ナレーター、パーソナリティ、講師等を生業として活動中。ごゆっくりどうぞ!
2018年3月30日
2018年3月23日
2018年3月16日
2018年3月11日
あの日を忘れない
震災直後に行われた宮城県気仙沼市階上(はしかみ)中学の卒業式。彼の答辞は今も忘れない。あれから7年。災害時の避難計画を綿密に立て、3日間耐え得る備えをしておくこと。助け合いは必要だが、まずは自分達を守るべし!
2018年3月10日
あの空襲から73年
昭和20年(1945年)3月10日は東京大空襲のあった日。この日、東京市街はアメリカ軍の焼夷弾(しょういだん)による大規模空爆を受け、人類史上最悪の10万を超える人々が犠牲となった。東京は1944年11月から翌年5月までの間にのべ106回の空襲を受けたが、「東京大空襲」とは最も犠牲者の多かった3月10日の空襲を指す。
戦時下とは言え、これだけ非人道的な殺りくを繰り返した敵方には計り知れないほどの憎悪を禁じ得ないが、1951年、日本政府は「サンフランシスコ平和条約」により賠償請求権を全て放棄することとなった。
こうした数々の空襲は軍事施設のみならず、市街地も標的とされていることから、無差別爆撃と言わざるを得ず、戦争犯罪ではないのかとの声は今も根強い。しかし、むやみに過去を糾弾することなく、過去の事実をしっかりと受け止め、多くの犠牲を無駄にしてはならないという強い信念を持って行動したからこそ、日本の繁栄がもたらされたことも事実。我々はその道程をしっかりと心に刻み、次の世代へと伝えていかなくてはならない。
※使用している画像について
画像はフリー百科事典「ウィキペディア」に掲載されている東京大空襲のページより引用致しました。すでに著作権の保護期間が終了しており、出典を明示した上での使用は差し支えないとのことです。
焦土と化した東京市本所区(現在の墨田区両国付近) |
こうした数々の空襲は軍事施設のみならず、市街地も標的とされていることから、無差別爆撃と言わざるを得ず、戦争犯罪ではないのかとの声は今も根強い。しかし、むやみに過去を糾弾することなく、過去の事実をしっかりと受け止め、多くの犠牲を無駄にしてはならないという強い信念を持って行動したからこそ、日本の繁栄がもたらされたことも事実。我々はその道程をしっかりと心に刻み、次の世代へと伝えていかなくてはならない。
※使用している画像について
画像はフリー百科事典「ウィキペディア」に掲載されている東京大空襲のページより引用致しました。すでに著作権の保護期間が終了しており、出典を明示した上での使用は差し支えないとのことです。
2018年3月2日
細やかなドレスアップ
相棒1号である「ダイハツ・ココア」を乗り換えようと画策していたが、生産中止になったと聞いて踏みとどまる。定期点検と一緒にヘッドライト、ドアミラー、給油口をドレスアップ。さらに、ラゲッジスペースにマットを新調した。純正品でチェッカー柄はないとのことで、専門サイトで注文。見事にジャストフィット!
ちなみに、軽自動車の黄色ナンバーがイヤだという人に朗報。ラグビーW杯か東京五輪のPRプレートを申請すると、通常色のプレートに変えられる。
絵柄なしのロゴのみを選べば、普通車とほぼ同じ。収受員がいるゲートではプレートの色で料金を判断するので、説明は必要になるが、問題はそれくらいだ。これを機に申請してみようと思っている。
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