フリーアナウンサー服部 陽介のブログへようこそ!服部 陽介はレポーター、キャスター、ニュースデスク、司会者、俳優、声優、ナレーター、パーソナリティ、講師等を生業として活動中。ごゆっくりどうぞ!
2011年5月30日
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2011年5月18日
5.天津⇔名古屋便
旅行5日目は朝からスッキリ晴れ渡る。中国では連休が終わり通常の生活モード。我々は朝食を済ませ、ホテル前の船乗場へ。昨日の人混みが嘘のように、川辺の公園は静まり返っていた。
前の晩に調べた時刻表では、朝の第一便は9時発。しかし、切符売り場に行ってみると、「メイヨー!(ない!)」と一言。客がいないので11時まで船が出ないという。中国ではよくあることらしい。
午前中いっぱいで中国を去ることを身振り手振りで一生懸命伝えること10分。なんと快く船を出してくれることになった。中国人は素っ気なく思われがちだが、本気でお願いするととても親切だ。
出航直後、突然船が舵を切り大きく揺れた。見ると川の中に人が!!溺れているのかと心配したのだが、乗務員も落ち着いていて特に騒ぐ様子はない。どうやら水泳中の市民のようである。
「清」の勢力が衰えを見せていく中、天津にはイギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、日本、ロシア、イタリア、ベルギー、オーストリア、ハンガリーによる「租界」という外国人エリアが築かれていった。
「租界」は清の力が及ばないエリア。清最後の皇帝「溥儀」も紫禁城を追われた後、日本租界で7年を過ごした。今も当時の建造物が近代的なビル群と共存して天津の街並みを形成している。
リバークルーズは、ちょうど天津駅の辺りてUターン。どこを見ても中国であることを忘れてしまうほどの発展ぶりを見せてくれるのだが、街中に残る古き良き風情は是非とも守って欲しいものだ。
部屋に戻って荷物の整理。手持ちの荷物を増やさないように、お土産などはなるべく旅行カバンに入れ込んでしまう。11:45、チェックアウトを済ませ、我々はタクシーで天津空港へ向かった。
搭乗便は、天津空港14:00発の中部空港(セントレア)行。JALの国際線が軒並み路線を閉じた中、天津に「トヨタ」の工場があることから、トヨタのお膝元である「名古屋」との便は残ったのだ。
5日間の滞在ではあったが、中国のダイナミックさを感じられる有意義な旅であった。再見、中国!!さて、飛行機は一路日本へ。ここからは怒涛の日本国内トランジット旅の始まりである。
夕方、無事に中部国際空港(セントレア)へ到着。空港利用者のほとんどは、ここから名鉄に乗って名古屋方面に向かうのだが、我々は荷物を半分東京へ送る手続きを済ませ、ある場所へ…。
中部国際空港と津・松阪を結ぶ「津エアポートライン」。名古屋を経由して向かうよりもかなり早く三重に着くことができるのだ。料金は大人2400円。中国帰りの我々にとっては少々高額である(笑)
ゴールデンウィーク後半の真っ只中ではあったが、あまり乗客はなく船内はとても静かであった。中国での疲れが出たのか皆居眠りを…。船は時間通り40分で対岸の「津なぎさまち」に到着。
タクシーに乗って、松阪牛を安く提供してくれると地元でも人気の焼肉店「八廣」へ。予約していた時間に少し遅れてしまったのだが、お店の女将さんが笑顔で迎えてくれた。店内はすでに満員御礼。
とにかくどの肉も本当に美味い。特に「塩ホルモン」には驚かされる。こんなにサッパリとした旨味の濃いホルモンには滅多に出会えない。サガリやタンもお薦め。小松菜ともやしのナムルも絶品だ。
宿泊は近鉄「久居(ひさい)駅」の近くにあるビジネスホテル。伊勢までは30分かかるのだが、翌日また同じコースで空港へ戻ることを考えるとベストな選択と言える。明日はいよいよ「伊勢参り」だ。次回へ続く。
2011年5月16日
4.お茶のふるさと
4日目のメインは、天津商業大学の構内にある「裏千家茶道短期大学」の訪問。母が茶道・裏千家の茶名を持っている関係で、せっかく天津を訪れるなら…ということで決めた行程だ。
学生だけでなく、日本人スタッフの皆さんも敷地内で寮生活を送っているという。朝晩の食事付きだそうだが、自炊出来るスペースもあり、自分達で日本食を作ったりすることもあるのだとか…。
翌朝にリバークルーズを予定していたので、船着き場で出航時間を確認。平日と休日のダイヤがごちゃごちゃでわかりにくかったが、午前中に3便あることは確実のようである。明日も晴れそうだ。
次回に続く。
裏千家茶道短期大学の設置は、裏千家の前家元「千 玄室氏」が1979年に親善文化使節として中国を訪れ、裏千家と中国の文化交流の礎を築いたことに始まる。
裏千家の積極的な文化交流の積み重ねが、中国における「茶道」を通じた日本文化研究のための大学設置を求める声へと結びつき、1994年9月に「裏千家茶道短期大学」は開学したのだ。
この日は大学が休みだったのだが、わざわざ事務長の女性と講師の方がホテルまで車で迎えに来て下さった上、大学構内と茶道大学の館内を案内して下さった。心より感謝申し上げたい。
大学専属の車で「古文化街」へ。茶道で使う「小帛紗(こぶくさ)」を作らせている生地店まで連れてきて下さったのだ。日本なら1枚数千円もする「小帛紗」を破格の値段でご紹介頂いたという訳だ。
天津に来る人は必ず訪れると言っても過言ではない「古文化街」。天津の街はここから始まったとも言われ、清の時代の建物を再現したその街並みは、重厚感のある中国独特の風情を醸している。
街の中の建物はみな、歴史や神話、人物、花鳥などを題材とした、透かし彫りや浮き彫りの多彩な図柄で装飾されている。沿道には、伝統工芸品や骨董品、土産物が所狭しと並べられていた。
昼食は古文化街の中にある屋台で。注文はメモ書き。日本でもおなじみのメニューをそれらしく漢字で記入してみた。値段は書いてなかったが、ビールは1本6~7元(78~91円)程度と思われる。
ビール4本と麻婆豆腐、麻婆茄子、青椒肉絲、炒飯、他2品を合わせた会計は64元(832円)というのだからビックリだ。4日目にして、最も味が良かったのがここ…というのは何とも皮肉な話である。
古文化街をたっぷり満喫した我々は、ひとまずホテルへ帰還。お土産や荷物の整理をして、夕方まで少し昼寝をすることに…。もったいない気もするが、旅の後半に備えて少し休むことも大切だ。
2時間ほど昼寝をして、外に出たのは7時くらいだっただろうか。ホテル前にそびえる観覧車。夜になるとライトアップされてとてもきれいだ。川沿いに栄えた街らしく清々しい風が吹き渡っている。
川辺では多くの行商人たちが店を構える。ぬいぐるみや置物に直接輪を投げてゲットするというおなじみの出店。カップルや親子連れなど、連休の最終日を惜しんでたくさんの市民が集まっていた。
ホテルへ帰る途中、既に閉店したショッピングセンターの入口に人だかりが…。近づいてみると、どうやら即興のコンサートが始まるらしい。中国の労働歌のような曲が歌われていた。
「東大門服飾街」とある。東大門と言えば、韓国の有名な市場の名前。どうやら韓国の服や雑貨を扱う総合市場らしい。中国でも韓国商品は人気があるようで、街中でもハングル文字をよく見かける。次回に続く。
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