2012年11月30日

K-POPはどれも同じ?

K-POPを深く聞くようになって感じること。それは個性の幅があまり広くないこと。韓国の音楽番組を見ていても、既存のアーティストと同じような印象を受けることが多い。もちろんパターン(ジャンル)はいくつかあるのだろうが、どこか「型」にはまっている印象を受けてしまうのだ。このことは嫌韓論者やK-POPを嗜好していない人からも良く聞かれることである。「K-POPって全部同じに聞こえますよね?」


あくまで私見だが、基本的にK-POPはかなり計画的に作りこんでいるので、どれも同じような感じになっているのは否めない。感性のまま音楽を楽しんでいるのではなく、徹底的に訓練されているのでそうなってしまうのだ。

合唱や声楽を考えてみて欲しい。基本的な訓練方法やアプローチが決まっているので、大体同じ感じの声に仕上がってはいないだろうか。本来、芸事は自然に淘汰されて、上手い人だけが業界に残るのが常道なのだが、K-POPは徹底的な訓練によってその上手い人を意図的に作ろうとしているということなのである。


日本も昔は「徹底的に基礎を学べ!」「基礎がなければ失格!」というような考えはあったが、今は個性を重んじる傾向が強くなっている。基礎と個性のバランスはどのくらいがいいのかは難しいところだが、そういう視点で見ると、K-POPは基礎はしっかりしていて歌もダンスもレベルが高いが、アーティストごとの個性が出にくい。逆に日本のアーティストは個性はあるが、基礎が自己流なので本物志向という感じがあまりしない…ということなのだろう。

決して良し悪しを言っているのではない。日本と韓国ではエンタテインメント産業に関しての考えが根本から違うということを申し上げたいのだ。日本は自然発生的に文化が育っていく環境。韓国は戦略的に文化を産業として育成する環境。「好き」「嫌い」を主張する前にそのことをきちんと捉えておきたい。

ちなみに、彼らは国によって売り方を細かく変えている。特に日本で支持される方策を徹底的に研究しているのだとか。確かに最近は本国でのヒット曲をそのまま日本語版にするのではなく、日本オリジナル曲を発表するアイドルも増えている。ユーザーが存在してくれる限り、戦略を練って物を売っていくのは当然のこと。商売というのはそういうものだ。