1995年3月20日朝、霞ヶ関付近を走行中の営団地下鉄(現・東京メトロ)の車内で神経ガス「サリン」がまき散らされ、13人が死亡、6300人が負傷するという前代未聞のテロが発生。オウム真理教による「地下鉄サリン事件」だ。
私はこの年の1月いっぱいで新潟放送アナウンス部を退社し、3月からFMラジオのワイド番組を担当していたのだが、まさか番組を降り、そのまま事件・災害の取材キャスターを務めていくことになろうとは予想だにしていなかった。私の放送人としての歩みを変えてしまった出来事と言っても過言ではない。
あの日から今日で20年。世界では過激派組織などによるテロが後を絶たないが、一連のオウム事件が何だったのかを熟考する姿勢は、新しいテロへの対策にもつながるのではないだろうか。忘れることなどあってはならないのだ。
私はこの年の1月いっぱいで新潟放送アナウンス部を退社し、3月からFMラジオのワイド番組を担当していたのだが、まさか番組を降り、そのまま事件・災害の取材キャスターを務めていくことになろうとは予想だにしていなかった。私の放送人としての歩みを変えてしまった出来事と言っても過言ではない。
あの日から今日で20年。世界では過激派組織などによるテロが後を絶たないが、一連のオウム事件が何だったのかを熟考する姿勢は、新しいテロへの対策にもつながるのではないだろうか。忘れることなどあってはならないのだ。