2016年9月25日

「見れる」「出れる」

文化庁が21日に発表した2015年度の「国語に関する世論調査」で、「食べれる」などいわゆる「ら抜き言葉」を使う人が増えていることが分かった。

「ら抜き言葉」は現在まだ社会的に認められてはいないが、20~30年後には「ら抜き」が当たり前になる時代がくることは確実。私はアナウンサーを生業としているので、正しい(古くさい)日本語をしっかり守っていきたい半面、2000年に渡り変遷してきた日本語の長い進化の中で言えば、「ら抜き」などは大した問題ではないと考えている。


国語学者などではなかったが、ある方がこんなことを書いておられた。ら抜き言葉をただの乱れとみる向きが多いが、尊敬を表す「見られる」「出られる」と可能を表す「見られる」「出られる」を区別するために、無意識に近い時間の経過の中で「見れる」「出れる」に進化してきたとも解釈できる…と。

専門学校などでのレッスンで私が常に申し上げているのは、正しいとされている日本語はきちんと喋れるようにはしておくべきだが、そうでなくてはいけないという凝り固まった考えで、今風の言葉を蔑み、それだけで人の価値を判断するのはナンセンスだということ。ただ、やはり上の世代は言葉遣いや振舞いで人を見るので、きちんとした使い分けは出来るようにしておかなくてはならない。

アナウンサーは現代の言葉にこだわっていればいいが、俳優や声優はどの時代を演じるか分からないのだから、古い日本語の言い回しなどは知識としてしっかり学ぶべきだと私は考えている。