2月7日は「北方領土の日」。安政元年(1855年)、日露両国が初めて平和裏に両国の国境を「択捉(えとろふ)島」と「ウルップ島」との間に定めた「日魯(にちろ)通好条約」が結ばれた日にちなんで定められたものだ。
北方領土は北海道の東に位置する択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、色丹(しこたん)島、歯舞(はぼまい)群島の四つの島を指す。第二次世界大戦の終戦直後にソ連(現ロシア)の軍隊が法的根拠なく侵攻し、以後ロシアが不法占拠を続けている。日本人の常識として全国民が共有すべき歴史的事実である。
ロシアの統計によると、北方領土エリアの人口は2009年現在16,396人。これだけの人達の故郷を奪ってしまうのだと考えると、容易に解決できる問題でないのはわかるが、終戦当時に北方四島で暮らしていた日本人は1万7千人程度。涙を呑んで故郷を捨てざるを得なかった日本人の思いも忘れてはならない。
不法占拠を続けるロシアに対しては日本人の一人として強い憤りを覚えるが、北方領土問題における歴代政権の怠慢が相手側の不逞を助長させてきたことも事実。何かしらの道筋を付けてもらいたいものだ。
北方領土は北海道の東に位置する択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、色丹(しこたん)島、歯舞(はぼまい)群島の四つの島を指す。第二次世界大戦の終戦直後にソ連(現ロシア)の軍隊が法的根拠なく侵攻し、以後ロシアが不法占拠を続けている。日本人の常識として全国民が共有すべき歴史的事実である。
ロシアの統計によると、北方領土エリアの人口は2009年現在16,396人。これだけの人達の故郷を奪ってしまうのだと考えると、容易に解決できる問題でないのはわかるが、終戦当時に北方四島で暮らしていた日本人は1万7千人程度。涙を呑んで故郷を捨てざるを得なかった日本人の思いも忘れてはならない。
不法占拠を続けるロシアに対しては日本人の一人として強い憤りを覚えるが、北方領土問題における歴代政権の怠慢が相手側の不逞を助長させてきたことも事実。何かしらの道筋を付けてもらいたいものだ。