フリーアナウンサー服部 陽介のブログへようこそ!服部 陽介はレポーター、キャスター、ニュースデスク、司会者、俳優、声優、ナレーター、パーソナリティ、講師として活動。湘南エリアと富士山麓での2拠点ライフ実践中!
2014年11月30日
2014年11月28日
2014年11月26日
2014年11月24日
2014年11月22日
2014年11月20日
KARA 3rd JAPAN TOUR
人気女性グループ『KARA』のコンサートへ足を運んだ。会場は横浜アリーナ。今年2人のメンバーが脱退し、その後のメンバー補充プロジェクトを経て4人体制となって初のツアーということで、ファンとしては会場が閑散としているのではと心配していたのだが、開けてみれば昔からのファンが離れてしまうどころか、より層を広げて熱狂的に参集していた。
この日はツアーの最終日。以前のコンサートでもそうだったのだが、女性ファンが多いのが特徴で、特に女子高生と思しきグループが目立っていた印象。もちろん、ファンの中心となる30~40代の男性、カップルや家族連れ、親子2人組といった組み合わせなど本当に層が広い。
日韓関係が冷え込む中、商売(?)とは言え、日本語で歌い、日本語で喋り、日本のファンを魅了していく姿は本当に清々しい。今後もしっかり応援していこうと決意を新たにしたところだ。詳しくは「K-POPシンドローム」にて。
この日はツアーの最終日。以前のコンサートでもそうだったのだが、女性ファンが多いのが特徴で、特に女子高生と思しきグループが目立っていた印象。もちろん、ファンの中心となる30~40代の男性、カップルや家族連れ、親子2人組といった組み合わせなど本当に層が広い。
日韓関係が冷え込む中、商売(?)とは言え、日本語で歌い、日本語で喋り、日本のファンを魅了していく姿は本当に清々しい。今後もしっかり応援していこうと決意を新たにしたところだ。詳しくは「K-POPシンドローム」にて。
2014年11月18日
2014年11月16日
2014年11月14日
繊細で神経質そう・・・
ブログのLINKでもご紹介している「南山誠林」さんの姓名判断。色々な仕事現場で試してみたところ、かなりの確立で当たっていると評判だ。ちなみに私の性格判断は以下の通り。
服部 陽介さんはこんな人
繊細で神経質そうな感じのするおとなしい人。細かなところまで気遣うことができ、周囲の人とのバランス感覚を持っていますので、サポート業務や細かな神経を使う仕事にはもってこいです。内面の神経質で細かな面を人に見られたくないため無理に突っ張って疲れてしまうようなところがありますので注意しましょう。
…とのこと。自分でも当てはまっている部分が多いような気がしている。姓名判断恐るべし!相性診断などもあるので、皆さんもぜひ一度お試しを。もちろん全て無料で利用できる。
服部 陽介さんはこんな人
繊細で神経質そうな感じのするおとなしい人。細かなところまで気遣うことができ、周囲の人とのバランス感覚を持っていますので、サポート業務や細かな神経を使う仕事にはもってこいです。内面の神経質で細かな面を人に見られたくないため無理に突っ張って疲れてしまうようなところがありますので注意しましょう。
…とのこと。自分でも当てはまっている部分が多いような気がしている。姓名判断恐るべし!相性診断などもあるので、皆さんもぜひ一度お試しを。もちろん全て無料で利用できる。
2014年11月12日
記念艦三笠(みかさ)
「YOKOSUKA軍港めぐり」のクルーズを終えた我々はすぐ近くに展示されている記念艦「三笠」へ。戦後に復元された部分も多いのだが、記念艦として船の隅々までをじっくり見学することが出来るようになっている。入艦料は600円。
「三笠」は日清戦争後、ロシアに対抗するための「六六艦隊計画」の一環として建造された艦船で、完成直前に海軍の予算が尽きてしまったため不法流用までして作られたという。
その期待に応え、1905年(明治38年)5月の日本海海戦で「三笠」をはじめとする聯合艦隊はロシアのバルチック艦隊を撃破し、日本を勝利へ導くこととなった。ちなみに、聯合艦隊を率いたのは言わずと知れた「東郷平八郎」である。
1921年のワシントン軍縮条約によって廃艦が決まった「三笠」だが、現役復帰できない形での保存が許されて横須賀に保存されることになる。
第二次世界大戦後は艦上にアメリカの軍人向けに「キャバレー・トーゴー」が開かれたり、艦上構造物を持ち去られてしまうなどひどい状況だったのだが、復元保存運動のおかげで無事ほぼ完全な形に修復され、こうして横須賀に保存されている。我が国の歩んだ近代の歴史を是非ともその目でお確かめ頂きたい。
「三笠」は日清戦争後、ロシアに対抗するための「六六艦隊計画」の一環として建造された艦船で、完成直前に海軍の予算が尽きてしまったため不法流用までして作られたという。
その期待に応え、1905年(明治38年)5月の日本海海戦で「三笠」をはじめとする聯合艦隊はロシアのバルチック艦隊を撃破し、日本を勝利へ導くこととなった。ちなみに、聯合艦隊を率いたのは言わずと知れた「東郷平八郎」である。
1921年のワシントン軍縮条約によって廃艦が決まった「三笠」だが、現役復帰できない形での保存が許されて横須賀に保存されることになる。
第二次世界大戦後は艦上にアメリカの軍人向けに「キャバレー・トーゴー」が開かれたり、艦上構造物を持ち去られてしまうなどひどい状況だったのだが、復元保存運動のおかげで無事ほぼ完全な形に修復され、こうして横須賀に保存されている。我が国の歩んだ近代の歴史を是非ともその目でお確かめ頂きたい。
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